
テレビドラマの鉄板テーマといえば家族の関係を描いたホームドラマ。女性には嫁と姑、男性には父と息子の物語は鉄板です。
村上春樹自身が今は亡き父親のために綴ったレクイエムと言われる「猫を棄てる」は家族との向き合い方を考えさせられる短編です。
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猫を棄てる

『文藝春秋2019年6月号』誌上で『猫を棄てる――父親について語るときに僕の語ること』として発表された作品を収録。村上春樹が初めて父親の戦争体験や自身のルーツについて綴ったもので、『第81回文藝春秋読者賞』を受賞した。書籍化に際し、『第47回アングレーム国際漫画祭』台湾パビリオン代表の高妍による挿絵が起用されている。
これまで村上春樹さんは実父との関係を作品の中に象徴的に描いてきましたが、詳しく語ろうとしませんでした。その父について猫を棄てるエピソードを糸口に語ります。
「松の木の上に爪を立てたまま白骨化した猫の死骸とは、あの戦争の歴史」という表現にあるように、縦軸となるのは父親の戦争体験です。事実関係を詳細に調べながら綴るなかから父との確執や戦争責任について語られます。
相容れなかった父との関係を考えるきっかけとなったのが表題になった「猫を棄てる」エピソードです。
親に「捨てられる」という一時的な体験がどのような心の傷を子供にもたらす者なのか、具体的に感情的に理解することはできない。
しかし、その種の記憶はおそらく目に見えぬ傷跡となって、その深さや形状を変えながらも、死ぬまでつきまとうのではないだろうか。
人には、おそらく誰にも少なかれ、忘れることのできない、そしてその実態を言葉ではうまく人に伝えることのできない思い体験があり、それを十全に語り切ることのできないまま生きて、そして死んでいくものなのだろう。
寺の次男として大正6年(1917年)に生また父は、三回にわたり応召され、からくも生き延びました。中国大陸での戦争体験を息子に語ることなく。二人は疎遠になったといいます。
父親も自分も共通に抱える「捨てられると言うトラウマ」が心に刺さりました。
響く言葉
100ページほどの短い内容。挿絵も入っているので親しみやすい本です。しかし、つづられた言葉は奥が深く、余韻があります。
- 降りることは上がることよりずっとむずかしい
- 結果は起因をあっさり呑み込み…人をも殺す
- 僕らはみんな、それぞれの世代の空気を吸い込み、その固有の重力を背負って生きていくしかないのだろう
長編を期待するファンには、やや物足りなさを感じるかもしれませんが、短い作品の中に奥の深い表現が詰まっています。
発行日:2020年4月25日
新書判101ページ
価格:1200円(税別)