『ペンギンごはん』の出現はエポックメイキングなことだった

こんにちは、フルタニです。放送局で番組づくりをしてました。

ひょんなことからチラシやポスターづくりを頼まれることになり、グラフィックソフトを触ることになりました。今から7年前のことです。

高校時代にポスター作りをして以来。当時はポスターカラーを使いましたが今様のポスターは絵の具代がかからないのと手が汚れないので気分は上々です。

今日の一冊はおにぎり頭のキャラクターとして知られる南伸坊さんの本です。

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これなら描けるかもしれないという誘惑

定年間際になってグラフィックソフトに手を出したわけです。パソコンの操作はなんとかできますが、グラフィックソフトの仕組みまではわかりません。

そもそもレイヤーという概念から学び直さねばならないのです。職場に頼んでAdobeを入れて貰いましたが周囲の人は事務系ばかり。エクセルは知っていても、グラフィックは無縁。

若い人に聞いても、「スマホじゃないからわかりません」ととりつく島もありません。最初はどうしていいかわからないまま、それらしいチラシをつくるのに丸一日かかりました。

やってみてわかるのがイラストを描くことの大変さ。一見下手な絵のように見える絵ほどむつかしいことが改めてわかりました。

私のイラストレーション史

「私のイラストレーション史」 南伸坊 著( 亜紀書房 )

下手な絵といって思い出すのが月刊漫画誌「ガロ」です。神保町にある青林堂までバックナンバーを買いに言った記憶がある雑誌です。[1]青林堂という名前の出版社は現存しますがガロとは別の偽物です

強烈だったのが 湯村輝彦さんのイラスト。漫画かイラストかわからないところがもはや読者を虜にする罠です。

テリー1

ガロの常連は、今になって振り返るとサブカルチャーの源流をつくった巨人たちです。

和田誠、赤瀬川原平、木村恒久、横尾忠則、水木しげる、つげ義春、長新太、湯村輝彦、安西水丸

名前を聞いただけでその作風がわかる人たちの思い出話を元ガロの編集長らしい角度から語るエッセイです。

自分の好きな絵を、自分の編集する雑誌に載せたいっていう単純な思いがまず第一だった。今思うと、私は和田誠さんの『話の特集』を『ガロ』で実現したかったのかもしれない。

成績も振るわず、かといって芸術に向かうほど技も度胸もない私は、「ガロは一読者として接しよう」と、その道に進むことを避けました。

ある時急に表紙のタッチが変わったのです。作家の名前を見ると湯村輝彦とありました。湯村輝彦とタッグを組んでいるのは糸井重里さんです。糸井さんはNHKの若者向け番組「YOU」で煽るような口調で人気を集めたヒーローでしたが、湯村さんは実像を見せることはなく、変な絵のイラストレーターでした。

バスキアは1977年ごろから、ニューヨークの地下鉄にいたずら書きをしていたんですが、これがつまり限界芸術ですね。キース・ヘリングがサブウェイドローイング(ってやっぱり地下鉄のいたずら書きですが)をしていたのも1980年くらいです。 わがテリー・ジョンソンこと湯村輝彦さんが、二人よりずっと先行していたことは、言うまでもないことじゃないですか。つまりマージナル・アートの活力をポピュラー・アートたる広告や雑誌イラストレーションやマンガの文脈に持ち込んだ張本人こそが「ヘタうま」の元祖・湯村輝彦さんだったということを、私は主張してます。

描けるようで描けない。見たくない絵なんだけど見てしまう。そんな作家が続々と登場する世界を見て、この世界には大変な人がいることを知りました。

ヘタウマとはなにか

ほんとうは上手なのにわざと下手に描かれた絵だとばっかり思っていましたが、ヘタウマの画風とは「子どもの絵にあるような魅力をめざした」作家の努力をいうのだと知りました。

湯村輝彦さんや安西水丸さんは努力なしに描けてしまうところがすごかったのです。著者の南伸坊さんは元祖ヘタウマ作品を模写して誌面に掲載しています。それを「ヘタ模写」と書いているところにしみじみとしたペーソスを感じます。

作家たちの年齢は70代近く。中には死んでしまった人も少なくありません。しかし、作品は今見ても時代の先を走り続けているように見えます。

まっとうなテレビ制作者の道に進み、常識ある社会人として生活できるようになりました。意地を通すのでもなく、さりとて妥協するのでもないガロの引力に今も影響を受け続けていることは確かです。

さて、今週テーマは介護。週刊エコノミストではこれから注目される介護サービスを特集していました。

週刊エコノミスト

2019.06.04号が紹介した話題の本

  • 農学と戦争 知られざる満洲報国農場
  • 日本が外資に喰われる
  • 柔軟的思考 困難を乗り越える独創的な脳
  • 警察庁長官狙撃事件: 真犯人“老スナイパー”の告白

農学と戦争 知られざる満洲報国農場

戦争末期の一九四三年から遂行された国策、満洲報国農場。終戦時には七〇近くもの農場が存在したが、その実態は長く顧みられずにきた。農林省の役人や農学者たちが牽引したこの国策により、東京農業大学の実習生や多くの若者たちが辛酸を嘗め、死へと追いこまれた。命を支える農業を研究する農学が、そして学生を育むべき大学が、棄民に加担した事実に迫る。

日本が外資に喰われる

外資系が増え、英語が日常生活に不可欠となり、かつての日本的経営も細りつつある時代にあって、時代転換の出発点となった不良債権処理ビジネスに関わる政治経済力学を中心に、いかにして「失われた三十年」が演出されたのかを解きあかす。

柔軟的思考 困難を乗り越える独創的な脳

あなたの思考は凝り固まっていないか?日々難題がいくつも起こる現代にこそ必要なボトムアップ式の創造的な発想法!突飛で革新的な思いつきこそ、目前の問題を乗り越えるパワーがある。脳のしくみの最前線と、脳のスイッチを切り替えて成功を呼び込むための具体的な方法を解説するポピュラーサイエンス。

警察庁長官狙撃事件: 真犯人“老スナイパー”の告白

平成最大の未解決事件、警察庁長官狙撃事件。捜査を主導した警視庁公安部がオウム犯行説に固執する一方、刑事部は、過去に凶悪事件を起こし、刑務所に服役中の男から詳細な自供を得ていた。著者は男と数年にわたって書簡を交わし、取材を進めるなかで彼こそが真犯人である確証を得る。真犯人の素顔とは。警察内部で何が起きていたか。事件の闇を描く迫真のドキュメント。

References

References
1 青林堂という名前の出版社は現存しますがガロとは別の偽物です
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